Aug 24, 2011

集合住宅の鍵交換の必要性

集合住宅に入居すれば、ほとんどそのままの鍵に入居することです。信頼できる不動産屋が仲介していれば良いが、お金と労力はかかっても必ず鍵の交換をしたいと思っています。私は、新築マンションに入居したので条件は違いますが、キーの交換をしました。古いタイプのピッキングの被害に遭いやすいという理由でした。住んでいるアパートの内部を見ると、まだ販売初期のキーのままの長屋に見えるのですが、泥棒の心理としない交換の家が狙われるだろう、と考えています。
ガラス修理をしなければならなくなったことによって、かなりの経験があると考えています。学校のことでも多いと思います。昔の学校で男が少しふざけて暴れている場合は、何かの拍子廊下の窓が壊れている可能性があります。瞬間その場が騒然としたが、ガラスの修理を受けて、きれいに元に戻りました。部数とまではいかなくても、金が入ったりするとまた近いうちにおいた方が良いでしょう。
 ◇閉校記念に企画 全校生徒、心一つけいこ
 秀吉の中国攻めに抵抗して鳥取城に籠(ろう)城し、餓死しかかった部下たちの命を守るため自害した戦国武将、吉川経家(1547〜81)を主人公にした創作劇の上演に、経家の出身地にある島根県大田市立福波小(同市温泉津町福光)の全校児童26人が取り組んでいる。福波小は来年度統合される予定で、閉校記念に企画した。3月6日には鳥取市でも公演を予定しており、けいこに力が入っている。
 上演されるのは音楽朗読劇「経家最後の手紙〜福光不言城の子どもたちへ」。保護者が昨年アイデアを出し、大田市の市民演劇サークル・劇研「空」の洲浜昌三代表が書き下ろした。
 経家は、毛利氏が石見銀山の押さえとした福光城(不言城)の城主。1581年、織田信長の命で羽柴秀吉が因幡国に侵攻した際、鳥取城兵の要請で守将になった。秀吉は兵糧攻めし、200日の籠城で餓死者が続出。経家は自身の命と引き換えに城兵や避難民を助けるよう申し入れ、開城して自害した。
 経家は死の直前、福光に残した子どもたちに「我ら一人御用にたち、おのおのをたすけ申、一門の名をあげ候」との手紙を送った。
 児童らは、妻子に囲まれた福光での経家の幸せな日々から、鳥取城での奮戦、大勢が餓死した悲劇、最後の手紙までの様子を全校児童の朗読と合唱を交えて熱演。題名になっている手紙のシーンは、この文言を朗読しながら死地に向かう経家の姿が描かれている。
 後半で経家を演じる6年の森山寿紀君は「僕らの地元が生んだ偉い人。自害は、多くの命を救おうという彼の強さだというふうに、鳥取や大田の人たちの前で演じたい」と話している。
 3月6日、経家の墓の近くにある鳥取市円護寺の市立中ノ郷小で上演、地元児童や吉川氏を顕彰する団体、住民らと交流する。同20日の閉校式で最後の上演がある。【鈴木健太郎】

2月20日朝刊

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 倉敷市の佐川麻衣子さん(27)の手元には1冊のピアノ教本があります。「せんせいといっしょにうたってひける ピアノランド」。可愛いイラストの幼児用。本を手にしたとき、23歳でした。5歳から高校までなじんだピアノは弾けなくなっていました。
 ノートルダム清心女子大4年だった6年前の12月、佐川さんは交通事故の後、外傷性の脳梗塞(こうそく)に倒れました。左半身にマヒが残り、2カ月余りを集中治療室で過ごします。
 翌年4月には大学に戻り、苦しいリハビリを並行。大学は1年遅れで卒業し、倉敷市の嘱託職員になりました。その夏、知人の誘いでNPO法人「日本障害者ピアノ指導者研究会」が開いたコンサートへ。幼い頃の交通事故で左手の親指と人さし指を失ったピアニスト・篠原加代子さん(41)らが中心になり、篠原さんの地元・倉敷市で初めて開いた演奏会でした。
 さまざまな障害があってもピアニストたちは自分を表現している。「私もやってみたい」。篠原さんに電話し、レッスンを始めました。
  ◇
 「片手で弾く?」
 「両手でやりたいんです」
 幼児と同じ練習。でも弾けません。「左手が動かないことは分かってたけど、弾けないことを直視しなければいけない。その現実がつらかった」といいます。
 一つの小節に左手の音が一つだけになるよう篠原さんが編曲するなど、相談しながらのレッスン。「最初はレッスンというより佐川さんの話を聞くカウンセリングのような時間」(篠原さん)でした。
 半年後、初めてステージに立ちました。定年退職する大学の恩師・山下光昭さんを送るパーティーもあり、メンデルスゾーンの「春の歌」を弾きました。集中治療室から一般病棟に移った直後、「死ななかったのは本当に奇跡だと思います」と、かすれた声で山下さんに語った姿を思い、それから2年後の演奏に「私には目に見えない力が働いているように思えた」と山下さんはエッセーにつづりました。
  ◇
 一昨年、カナダで開かれた「国際障害者ピアノフェスティバル」では芸術賞を受賞。今は正規の職員として市の仕事を続けながらレパートリーを広げています。「彼女はきれいな音を出せる才能を持っている」。この1年ほど指導に当たるピアニスト、重利和徳さん(35)の言葉です。
 「できなかったことができるようになることを楽しめるのは、病気をしてよかったことですね」
 「ピアノはたくさんの縁をつないでくれました。これからも幸せの音を紡いでいきたい」
 笑顔のピアニストがそこにいます。
  ◇
 写真は昨年12月、岡山市内の病院でのコンサート。真っ赤なドレスは祖母松本佳子さんの手作り。撮影はリハビリ仲間の蜂谷明弘さんです。【岡山支局長・松倉展人】

2月20日朝刊

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